デスボイスを考察する会(1人)

物好きがデスボイスを考えてます。

デスボイスに対する認識の話


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お疲れ様です、シュタゲ0PS4でも買って久しぶりに始めました。

 

今回は題の通りです。

 

 

 

 

経緯

 

これを書くにあたっての経緯として、大雑把に言ってTwitterで一悶着ありまして。

ただ、それについては相手方と「価値観の相違」で落とし所を設けられたので、掘り返すことは避けているのですが

それ以上に、平たく言ってエクストリームミュージックのリスナーにおいて

「あれは上手いor下手」だったり「これは優れた技術」とか

どこから持ちだしたものさしで語ってんだという意見が多く見受けられまして。

 

常々、ネットのこれら意見はそれぞれの価値観依存とは言っているつもりなのですが

まぁ断片的情報で私のことを見ている人も多いと再認識致しまして

改めて、こういった今更過ぎる話というわけです、呟きはもうしました。

 

 

発声技術という概念

 

さて、となりますが

確かに世の中には優れたボーカルもとい声の持ち主が溢れる一方で

どうもパッとしなかったりイマイチとされる声の持ち主もいるものでしょう。

 

これにおいて、前者が上手く後者が下手と分類されるわけですね、一般的に。

 

じゃあまず、これらについて検討してみましょう。

 

優れたボーカルの定義や根拠をどこに置くべきでしょうか?

知名度・プロであるだったり、どれだけ多様な声を出せるだったり、それに伴う人気とかですかね。

逆に、下手とする定義をどこに置くか、これもまたどうでしょうか。

 

個人的に不毛と思うので省略しますが、ここで言いたい事として

優劣は一側面でしか語れない

ということでございます。

 

尺度は多様にありまして、その比重は人それぞれとなっているものでしょう。

 

また、大抵の場合は「聴いてきた声」に依存するかと思います、メジャーアーティストの。

そこで個人が育む価値観というのは共時的なもの、この今の時代においてのみの価値観から形成されているでしょうが

通時的に追うと、それが各時代各分野にて行われ、過去の価値観を緩く引き継ぎ更新しているものかと思います。

 

尊敬するアーティストの語る価値観は、更に前時代のアーティストの価値観を含んでいる、まぁ当たり前ですね。

ただ、これにおいて「全てを汲んでいる」というわけでは無いのが実際でしょう。

即ち、これらから形成される価値観が如何に曖昧で且つふわふわしたものかは想像に難くないと考えます。

 

まずこれが個人がソースを無しに優劣を決めることについての不安定さ、という所でしょう。

 

で、本題の発声技術という概念ですが

要はその「その分野において大衆の支持を得られるもの」でしか無いわけです。

こんなん別に言うまでもないことだと思うんですけどね、本当に。

演歌歌手がポップスの畑に入ってどう捉えられるか、逆も然り、みたいな話です。

 

で、ことデスボイスにおいて

現状、明確なものさしは存在しませんし定義づけも困難と考えています。

 

そこらへん整理するにはあまりにも色んな人が色んな発声バランスをそれぞれ良しと主張もしているし

リスナーもその多様性をおっかけていたり、あるいはどこか一部を探求していたりするわけです。

 

こうなると、もう何が技術的に優れているかというのも困難なものでしょう、そうじゃない?

 

演歌とポップスで言えば、前者は軽い高い音声の実現が難しく、後者は分厚く倍音の富んだ音声が難しいってなりますかね。

この例にしても、どちらも技術的にはマイノリティ即ち希少性があり「高度」と言われるものでしょう。

これを、ジャンルを超えて出来ないことで「下手ですね」ということの視野の狭さは自覚をしておきたい点であります。

 

という音楽性の差と

 

環境や言語の差もあるわけですね。

 

よく言われているのが日本語圏の人と英語圏の人の喉の差、みたいなの。

よく外人至上主義的な意見を見かけますが、ここら辺も一枚噛んでいることは自明でしょう。

 

身近な例で言えば、運動部と文化部における声量の差だったり、精神的な声へのブレーキの差だったりでしょうか。

 

と、本当に言っていたらキリがないんですが

発声者におけるスタート地点で音声の難易度は十二分に変わり得る

ということです。

 

それを、音声を主軸に考えてセンスの良し悪しで語るのはナンセンス、と思います。

主観的に、出来ないから高度なものとするのは良いですが

それを一般化するには、我々は研究不足で検証不足なことは自明の理ってやつでしょう。

 

 

デスボイスの基礎の所在

 

というのが個人的な考え方なわけなので

人それぞれスタート地点は違って然るべき、且つ音声の経路も多様にあって然るべきと考えています。

 

よく言われているミックスボイスにしても、果たして裏声ばかりフォーカスするのが絶対的な手法では無いでしょう。

そもそも裏声と地声という二極化に賛否はある所でしょうが、ひとまず置いといて

場合によっては地声を見なおしたり、声量の設定もまちまちでしょう、その他諸々も。

 

各メソッドは、普及を目指して「致し方なく」情報を削っているので

それが全てと思いこまず、己で試行錯誤することは必要です。

 

でしかもよ、デスボイスなんて未開拓と言われまくっている分野なんて尚更なわけですね。

3桁人数無事到達ほど見て聞いてきた身としても、そもそもの人の声は多種多様で

設定した目標音声のプロセスも、大まかには絞れても例外は数多く

且つ、その人達は画面越しの情報がわからず来たってんです。

 

まぁ、ここはもう地獄という他ないと思います。

私はその辺の世直しまで面倒を見る予定はありません、今のところ。

 

なので、音声の優劣はあまり考えず

まず出た音を大切にして、目標の音声までゆっくり歩みよることがベター

と考えます。

 

 

デスボイス」とはどんな音か、という認知

 

さて練習するぞとなった時

「でも、これが正解かわかりません」

という質問は数多く受けますし、各所であがる疑問でしょう。

 

安心してください、誰もわかってないです。

 

正確には、個々人の経験則や聴覚情報の処理と他者評価との擦り合わせで決定されています。

なので、自己において確固たる好みの決定をすべきと考えます。

 

ここを人に委ねるのは、敢えて強く言えばバカモノ以外の何者でも無いです。

 

別に根拠はいらないです、なんとなく好きとかで。

なんとなく上手いと思うとか、そんなもんで良いと思います。

ここら辺は無駄に他人の価値観に振り回されないために重要な点です。

 

デスボイスに限らず、音声においてケチをつけてくる人がいない環境はほぼ無いです、公開してやろうとすればね。

その時、自分の価値観を他人に歪められたら悲しいことです。

まぁ実際その連続ではあるんですが、丸投げは基本すべきで無いです、指導側なのに申し訳ないけど。

 

レッスン時は「全ての音声を好意的に聴けるように」くらいに言ってますし、声帯への過剰な負担が無い方向でやれていれば良しとしています。

 

これも今更なんですけど

どんな音声が目的の音声の近道になるかわからないのなら、好ましくない音声でも取り組むべきです。

要は全てがきっかけ掴みなわけです。

好ましかろうが無かろうが、声はあまりひとつのパターンに執着し過ぎると損だったりします。

 

 

じゃあどうすれば良いの

 

相当、入念な準備をしたいなら耳をめちゃくちゃ肥やすべきです。

 

単純に色々聴くこともですが、特に生音を聴くことを推奨しています。

マジで機械を通すと色々変わりがちかと思いますし、実際そんなことが多いです。

もちろん、それが悪というわけでは無くて、自身で練習する際の頼り所は内耳と外耳による音声、結局生音になるわけです。

 

なので、周りの「上手い」と思う人の生音を聴きまくってトライアンドエラーです。

 

また、情報を集める際は、私のこれとかも含めあまり期待しないことを勧めます。

前の記事でも言ってますが

falsechord.hatenablog.com

はい、頑張って読んでください。

端的に言えば「一か八かでそこそこ当たる人と当たらない人がいる」ってだけです。

 

あとはハードルを下げて考えて良いと思います、これは個人的に。

デスボイスは簡単です、というよりも

「簡単に出せるこれもデスボイスとして使われてるよ」みたいな

自分の出来る範囲のことでもしっかり音声を認めてあげると良いと思います。

 

能力向上において、正確な認知が肝になるわけですが

現状、それを促せるほど外部情報の伝達って優れて無いと考えています。

だって読んでも見ても聞いてもわからないじゃない。

 

となると、簡潔でわかりやすい結論を鵜呑みにするのではなく

面倒だけど、自分の頭と耳で判断できるようにすることが一番の近道と考えます。

別にこんなあれやこれや考えなくても良いんです。

「これなんだか開いてるっぽい」とか「頭で響いている」みたいな

個人においては、個人の感覚が一番のものさしです。

厳密には間違ってようが、それで成功するなら良いのです、個人においては。

 

それを一般化すると一気にカオスなわけです、そういうこと。

長くなりましたが、少しでも糧になれば幸いです。