デスボイスを考察する会(1人)

物好きがデスボイスを考えてます。

デスボイスと快感 - 芸術と学術


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お疲れ様です、やっと言語起源論を読み終えて絶望している所です。

言語起源論――旋律と音楽的模倣について (岩波文庫)

言語起源論――旋律と音楽的模倣について (岩波文庫)

 

多分半年後にまた読みます、まだ啓蒙家の代名詞ルソーの思想を読み解くには早すぎた...

 

今回は思考整理回です、つまり散文です。

 

 

僕の据えている命題は「デスボイスは快である」です、これについてはあんまブレてません。

それにあたって、幾つか取っ掛かりを見つけられたり、打ちながら「これそうでね?」みたいな事を思いつき次第まとめていきます。

 

ホーメイとの共通項

これは結構、「ピッグスクイールというもののみに着目していましたが

どうやらフォールスコードスクリームそれ自体にも言えてきそうだなと。

声の世界を旅する (オルフェ・ライブラリー)

声の世界を旅する (オルフェ・ライブラリー)

 

教授から借りたこの本を読んで思いました。

 

で、何が共通項かって倍音発声」ですよね、もちろん。

僕自身、周りの方々から「ノイズ発生」という区分でデスボイスを話されるため

結構この点見落としていまして、よくなかった。

まぁ倍音「発声」にも限らないんですけどね、中央アジアの文化というかですね。

 

この中にイギルについての記述がありまして...

www.youtube.com

YouTubeにも参考音源が少ない、どうなってんの。

イギルって楽器ですね、弦が4本張ってあるそうです。

で、演奏時...動画をご覧頂ければおわかりかと思いますが

弦を同時に2本弾くものですパワーコードみたいだ。

で、西洋音楽の学者さんが「それぞれの弦における音高の関係」を調べようとしたそうなのですね。

ただ、面白い事に現地の人はどうやっても1本では弾けなかったそうで。

 

ホーメイも同じこと言われてますが、基音と倍音...イギルでは解放弦と抑えてる弦でしたかね

それぞれ干渉しあった音を包括して楽しんでいるものだという事でした。

それぞれの音を分解して考えるってのがもはや西洋的なんですかね、見方次第ではありますね。

で、この考え方の良し悪しは別として

フォールスコードスクリームってこれでは!!!

と思った次第です。

※フォールスコードは声帯(基音)と仮声帯(第二振動点)から成ります。というか呼気は基本これでは。

 

「ノイズ」という括りから一度外れる必要性を感じましたね、なんかもっと東洋的思想を取り込まないといけない気がしてます。

フォールスコードスクリームにおいても、結局基音と仮声帯それぞれ変化する事ででる結果の音をひとつの「声」としてとらえてますしね。

それぞれを分解するのも、ある意味ナンセンスなのかもしれない、やりたいけど。

 

また、この「相互に干渉しあって出た音に着目する」という発想をどうにかこねくり回していきたい所存です。

ってのがあって先日行って来たんですけどね。

falsechord.hatenablog.com

これですね、また別の体験を出来ましたが。

これが結構テンション上がる最近の発見でした。

 

・法竹との共通項 - Θ波

法竹ってそんな関係ないですけどね。

ようは「息を吐く」という事ですね。

oneness555.com

他所の記事の引用になってまいますが、これです。

 

法竹は結構呼吸が深く、変換効率が悪いわけでした。

また、法竹の音を楽しむ事自体が瞑想状態に近くあるとか。

それゆえ、チャクラを溜めて飲食を絶っても生活出来る人が出来あがる、みたいな。

 

そこにおいて

デスボイスって呼吸深くね?

となりまして、少なくとも僕はアホ程深いですし深めだよって教えてます。

で、このΘ波がトランスにも関係があるようだったり、脳科学なので詳しくもないです。

これは即ち快感たる割と直接的な要因と言い得るのではないでしょうかね?

とかも思った次第です。

 

深い呼吸を常に求められる発声です、歌うとなるとマジでえぐいです、変換効率の問題もありますが...

また、デスメタルという環境が割と快感誘起成分を備えていないかなぁとか。

バスドラム(低周波衝撃音)16ビート

シンバル等の金物(超高周波音と成り得る?)16ビートですよ。

※ジャンルによりけりです。

かなりトランスへ迎える要素を備えている環境なんじゃないかなぁと思いました。

 

ついでに、ブルデスケチャガムランも何か近い物を感じるなと。

インドネシアでシーンが盛り上がっている理由も文化的背景がある気がしてならないですね。

 

 

・既存の音階からの解放

常々言ってたりした事ですね。

falsechord.hatenablog.com

これとかですね、結構とっ散らかった感じですが。

 

これは「言語起源論」を読みながら僕なりに落とし込んだって所ですが

やはり、現状の音楽はあまりにも音階に束縛されていると。

で且つ、それを理論としてしまっているとそれはもはや芸術では学問で

ポップさが学術的に導き出せる時点で芸術たる音楽は死んでいるのではと。

ルソーって17世紀ですね、約400年前にもう音楽は死んでるみたいに言われてると取りました。

 

綺麗に読み解けなかったのでうまいこと言えませんが、そういった音楽から芸術への回帰のひとつ手段と言えたりしないかなぁと思いました。

音は本人の相対的なものです、物理的側面だったり神経伝達によって、その値のみで計るのは愚かしい行為だみたいな事言ってましたね。

感性というのは難しいものです、普遍性っていうのは多分見つけられない気がします、少なくともこのままじゃ僕は皆目見当もつかいない。

そもそもそれが必要かってのもありますけどね...まぁ趣味なので...

 

ノイズミュージックカルチャーとかも調べるべきなんですよね、果てなくて日々哀しみにくれている。

 

 

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ざっくりとそんな感じです、ここら辺を調べて行ってみようかなと。

ちょっと面白くないですかねこれ、デスボイス知らない人でも。

だって西洋文化のはずが根底の感性は東洋的であると言えるんですよ。

まぁこれ西洋か東洋かなのかではなく、どちらが本質か原始的かって問題なんでしょうけどね。

ここに優劣は本来なく、事実だけがあるのみでしょう。

 

デスボイスは進化なのか退化なのか、改悪なのか回帰なのかですね。

これも個々人の感性に依存し、生き残るかはどれだけ受け入れられるかなのでしょう。

幸い、今は何でも優位性を認めて保存する世の中だと思います。

そのうちデスボイスもポップカルチャーになるなんてのも夢物語じゃないんじゃって思います。

そこまでいけば学術的に研究される事は間違いないでしょうが、芸術たる側面を持ち続けられるのか...

デスボイスは芸術という側面が強いのが現状だと思います、自己完結気味ですので。

その方が好きですが、僕がやってる事はそれを殺してしまう事のような気もしなくもないです。

学術と芸術は対義語なのかってのもありますけどね。

 

軽く浅く調べてこれなので、きっと見つかるものは見つかるかなぁと、嬉しいです。

満足いくかも謎ですが、困った時の事はまた困った時に考えます。