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デスボイスを考察する会(1人)

物好きがデスボイスを考えてます。

何故デスボイスは嫌われるのか 中間報告

デスボイス 文化的考察 オタク向け

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現時点での考察をまとめるものです。

実践的なものではありません!

 

あと散文です。

 

快と不快、人類規模での普遍性というあたりを考え出して早半年弱。

不快たる要因は人間の学習機能から来るのではないかという仮説に今あります。

 

まず、日本は先進国であり教育が充実しています、世界的に。

この「教育」というものにあたっての「音楽」という概念、かなり西洋文化に依存していると思いますし、事実でしょう。

 

この前の記事でも書きましたが

falsechord.hatenablog.com

歴史的に、ヨーロッパ諸国からアメリカの流れが強くある時代でしょう、現在は。

西洋音楽というものは、とことん歪みを嫌ったとこの前聞きました。

この歪みというのは、日本とかだと尺八とかですよね、というか東洋の楽器の多くは当てはまるのかなと思います、偏見ですが。

且つ、この前のこれ

falsechord.hatenablog.com

結構話してますが

現状の日本では誰しもクラシックの影響は多かれ少なかれあると思います。

し、ノイズを嫌う人も半数程度いる(ガバガバ統計)ようでしたしね。

falsechord.hatenablog.com

上記アンケートのホワイトノイズ、実験で赤ちゃんが泣きやむとかポジティブな効果があったりはします。

しかし、音に対する印象(これだと都市伝説とか)によって、ネガティブなものになります。

音と視覚的情報というのは密接であります、ルソーの言語起源論の中にも「身振りの言語」という言葉がありました。

言語起源論――旋律と音楽的模倣について (岩波文庫)

言語起源論――旋律と音楽的模倣について (岩波文庫)

 

これはちょっと飛躍しましたね...でも音よりも視覚が先行して情報伝達手段として成立していたわけです。

だからこそ、我々は悔し泣きするをする野球男児を見て心を動かされるわけですしね、その彼の涙には血も滲む努力が見え隠れする という憶測のもとの情報もあって。

要は、視覚的情報は無意識化に多くの情報リソースとして我々の感性へ訴えかけているわけです。

 

かなりそれましたが、「学習」へ帰結します。

まず、音楽それ自体へ対する学習があります。

メタルというジャンルに対するイメージの話もありますよね、「過激だ」とか「荒々しい」だとか、社会モラルに反する印象操作が多く行われているケースが多いと思います。

ジャンルの起源だったりリリックとしては、そりゃあんま大声で言える事でもなかったりはしますね...バンド名からしても。

でもそれこそまさになのかなと。

例えば、某界隈では割と死体がジャケットで使われたりします、2次元か3次元かはバンドによりますが。

「死体をジャケットにするなんて、どうかしてる!」と思う人の方が大多数でしょう、僕もあれはドン引きです。

もちろん、それをする事に意味があるわけで、社会との隔絶みたいな事は意図して行われていると思います。

しかし、例え死体がジャケットだろうとなんだろうと、音は音で別の情報なのです。

が、その視覚的情報に引っ張られますね。

結果的に

そのジャンルを聴く⇒死体が目に浮かぶ⇒気分を悪くする

という一連の情報処理が行われます。

死体...つまりは「死」ですよね。

人間は生きる事を本能で使命付けられています、所謂生存本能。

これは色々な所で見られますね、面白いと思った例を幾つか挙げましょう。

 

子供はピーマンが嫌いです、それは苦いからです。

しかし、大人は食べる事が出来ます。

当たり前ですが、この変化には何が起こっているのか?ですね。

色々な側面で見る事が出来るので、あくまでひとつの側面として...

「苦み」という刺激に対する閾値の拡張ももちろんあると思います。

その「苦み」というのは、植物(ピーマンくん)が出す「生きるための術」なのですね。

ピーマンくんは生き残りたいわけなのです、そのためには食べられては生き残れない。

そうなった時に、ピーマンくんはどう進化したかですね。

「食べると毒だぞ!」という刺激を与えられるように適応したわけですね、このプロセスとかはまた学者に聞かないと正確さは欠けるでしょうが...

それを食べれば、生きたい人間も「毒だ!まずい!」という信号が脳から発せられるわけですね、然るべき判断です。

しかし、ピーマンを食べても死なないというのは我々は知っています、これは「学習」です。

本能的に嫌う子供へ我々は「ピーマンを食べる事は生きる上で必要、危険はない」という事を教えるわけですね、結果的に。

そうすると、成長につれて食べられるようになるわけです。

 

また、この前かつやでカツカレーを食べていて思いつき確認した事ですが...

たまたま、トイレの前の席で不運にも「カレー」という食べ物を注文したわけです。

そうするとよく言われる、排泄物を想起してしまったわけですね。

「美味しく感じなくなる」のは、カレーと排泄物がそこでリンクされてしまったからです。

脳は本能的に、まぁ感染とかでしょうという話でしたが、排泄物を嫌悪します、死にますものね。

しかし、カレーは食べても(一般的には)死なないわけなのです。

そこから、「これはカレーである」という認識を強めていけば、カレーはまた美味しいのです。

 

そういったような「学習」があるわけですね。

つまり大げさに言えば、デスメタルを聴いても死なないという事がわかれば何とでもないのです。

でも、それってジャンルのジャンルたる要因に反してしまう...難しいんですねぇ。

「受け入れられない要素」を重視する以上、デスメタルがメインストリームに行く事はないでしょう。

それに、受け入れられてしまいポップと化したら、それは真にはデスメタルと言えないかもしれません、これは芸術の話になりそうですね。

 

また、前の記事にも書きましたが

我々は「適応快感」を良しとして、そこに準拠して音楽というものを享受しています。

先述のデスメタルも、基本的に12平均律...西洋の作り上げた、基底の枠組みにはめられます。

ならば、クラシックもデスメタルも広く見て同じ音楽なのです、当たり前ですが。

ここで、何故「デスボイス」が受け入れられないか にシフトします。

先述までの印象がリードする話は「デスメタル」という枠組みでも問題ありませんでしたしね。

ここからは「デスボイス」という、与えられた12平均律から飛び出た音の話になります。

 

まぁそんなに長くないですね、与えられた中にない音だからです。

ただ、ギターのディストーションは「かっこいい」わけなのです。

ここの差は、やはり普及されているかどうかでしょう...

現代ポップミュージックにおいて、ギターのディストーションは一般的かと思います。

それはバンドやアーティスト、アイドルソングでもそうですね...

小さな頃から耳にし、それが「良い」という風潮や情報が与えられる環境であれば、そりゃ抵抗はなくなるのです。

本能以前に、これも「学習」でしょう。

しかし、デスボイスは普及していませんよね、普通には。

且つ、12平均律では簡単に当てはめられない音になっていると思います、この点は基音が見つけやすいと印象が変わってくるんでしょうが。

それに加え、昨日書いた事ですね。

falsechord.hatenablog.com

「デスボイスは喉を痛める」という情報が大きいです。

真似しようとすると痛くする傾向があるのも要因でしょう。

要は、人々にとって痛覚を伴うものという印象もつくのですね。

痛覚というのも生きるためにはかかせない要素です。

壁を殴れば痛いですが、痛さを知らずに壁を殴り続けられたら恐ろしいですよね。

そういった「恐怖」みたいなものもあるのかもしれませんね、今パッと思いついて書きましたが。

また、そこにある「強さ」みたいものに惹かれる場合もあるでしょう。

しかし、広く一般的には「痛い」という事は避けるにあたって然るべき要因でしょうし、理由としては十分なのです。

 

 

と、まぁこんな感じです。

結論から言えば

「デスボイス」は「死」を予感させるから嫌い

となるでしょう。

まぁだから、デスボイスってネーミングそのものに難アリとも思います。

 

逆説的に

デスボイスで死ぬことはない、痛くない

という事が広く知られれば、きっと変わるかなと思います。

でもそれってデスメタルたる要因を潰す事でもあります。

難しいですね、僕は広めたいですが。

 

また、昔には不協和音とされていたものでも現在は協和とされていたりもします。

こうした「適応快感へのシフト」は様々起こっております、だってそうしないと曲が被るからです。

そういった変遷の中で、遅かれ早かれデスボイスも受け入れられるのかなと思いました。

ただ今はそれには早すぎるというだけでしょう。

 

と、言うのががっつりとした中間報告ですね、ガバガバですね~。

参加型かプレゼンテーション型かみたいな、メタルやラウドミュージックにおいてある流れもそういった観点でみれそうだなとかあります。

風呂敷を広げ過ぎてて困ってます、まずいです。