デスボイスを考察する会(1人)

物好きがデスボイスを考えてます。

「デスボイス」というコンテンツ


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と言うのが適切かは置いといて、そういう話です。

 

誰でもそうと思いますが、何故このように興味がわくのか追求するのか

そのひとつの要因には、より優位になりたい...つまりは「上手くなりたい」という欲求があるわけです。

もちろん、僕も例に漏れずそれでしたし今でもそうだと思います。

しかし、過去僕は本気で「自分が一番上手いのでは」と思う時期がありました。

以下、少し自分語りになります。

 

 

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別に自信家ではないのですが、客観的に見て音色のバラエティや音域の広さ、声量等トータルで見たときに

それこそ、好きなボーカルと比較しても発声のみにフォーカスを当てたら引けを取らないと思ってました...まぁでも今もその点はあまり変わりません。

でもですよ、僕が歌ったり音を上げても...Twitterをメインに張り付いている人間なのでその中でなりますが...あまり伸びない=ウケないわけです。

それなりに歌える人あるあるかと思いますが、自分の方が優っているはずなのに、何故あの人の方がウケるのか みたいな事が起こるわけです。

そこからまず、「上手いとはなんなのか」という疑問が浮かびました。

知名度が即ち技術的に優れていることではないわけです、なら何を尺度として用いるのか。

それこそ、岩崎先生とお会いすることになる今年の6月末まで

僕が2回生前後くらいからなので、ざっと2年間悩みでありました...その原因として、サークル絡みでは大体お褒め頂けてたのもあると思います。

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それで、結局今もその尺度は探し中なわけですが、色々なことに気付かされてます。

 

「デスボイス」があまりにも閉鎖的な界隈でなされていたこと及び外からの干渉もなかった事ですね。

迷ってる時期、もちろん僕としても同じ「デスボイスが好きな人」を探しました。

今の所、僕より拗らせてデスボイスが好きな人にお会いできていませんが、僕より圧倒的に拗らせて「声」が好きな人に多く会える結果になりました。

僕は常々「デスボイスは歌声だ」と言っています、特に深い意味なくそのままです。

しかし、デスボイスを知るならデスボイスの中から という固定概念が抜けず、だいぶ足踏みをしてしまいました。

 

現状、不思議なご縁から発声学的にうまいこと見つめる手段を多く提供して頂いている感じです。

また、個人的には音楽心理学から「快音・不快音」という切り口で何か見出したいなとゆっくり考えたりしています。

武田梵声先生のやり方に習うなら、芸能学的にもそのルーツを通時的に見ることも必要なのかなと思います。

 

つまり、色んな見方をして欲しい、していこうって言いたいだけであります。

あまりにも狭すぎるんです、僕がやってる事もまだまだ狭いわけです本当に。

正直、個々人がどう考えてどう発声しようがそれは自由ではあります、それは僕から干渉する方がナンセンスとはわかります。

しかしですね、デスボイスもまた芸術と思います、マイノリティだからこそとかネガティヴなイメージに魅力を感じるとかあると思いますが、そんなの抜きにただそれが魅力的と思うのですね... 若干の耽美主義臭さが否めないですが...

 

すごく、価値が低く見られてると思いますし、それを良しとしている流れに僕は異議を唱えたい、そういう記事ですね。

価値を付けていくのは、結局は大衆であります、個人であります。

「変な声」という情報の処理は自己の蓄積された物に起因しています。

「悪い発声」というのは本人が負担を大きくしているまでです。

 

もし、というかここまで読む人は相当マニアックな人間と勝手に思っていますが

自分がどういう形にしても声が好きと言うなら、何に限らず「変な声」への抵抗感を減らすと視野が広がると思います。

別に僕は野生の声を取り戻そうってまで大きな事は言えませんしそこまで考えてませんが、音色は全て意味があると思うまでです。

デスボイスにおいては特に、音高の変化が少ないボーカルラインだからこそ

この音色の変化がひとつ心地よさを生んでいると...根拠はないです。

出せる音色の幅はそれだけで有利です、楽しさが広がります。

 

長くなりましたが、そんな感じです。

端的に言えば

あまりにもデスボイスに対して固定概念にとらわれた人間が多すぎる、好んでいるか否かを問わず

という話でした。

 

もちろん、音楽なんていうのは娯楽に過ぎません、芸術全般ですね。

なので強いる事は出来ないので、これも僕の感想文でしかないです。

でも、芸術や芸能の根底には人間の生活に不可欠なものが密接に絡んでいたりするわけで...面白い事です。

不快感は生存本能、即ち不快なものは死を予感させるのでは と教授にひとつお話をして頂いてからというもの、そのことを割と考えています。

苦手な人はそのものに死を予感していて、大丈夫な人はそれがない。

デスボイスを聴いて害はないんです、簡単に言っちゃうと「慣れ」って話なんですけどね。

 

我ながら本当に物好きですが、今後ともよろしくお願いします。